三明寺経塚

三明寺経塚

門池(かどいけ)北東(ほくとう)三明寺(さんみょうじ)経塚(きょうづか)がありました。「経塚(きょうづか)」とは経文(きょうもん)などの経典(きょうてん)地中(ちちゅう)埋納(まいのう)した場所(ばしょ)のことを()います。

三明寺(さんみょうじ)経塚(きょうづか)最初(さいしょ)発見(はっけん)されたのは享保(きょうほう)19(1734)(ねん)強風(きょうふう)のために(たお)れた老松(おいまつ)(した)から、経文(きょうもん)()れた経筒(きょうづつ)偶然(ぐうぜん)発見(はっけん)されたそうです。
発見(はっけん)された経筒(きょうづつ)には、鎌倉時代(かまくらじだい)年号(ねんごう)建久(けんきゅう)()(1194)(ねん)」と「上津(・・・)()」の文字(もじ)()つかりました。

一般(いっぱん)に「上津(・・・)()」は「こうづいけ」「かみついけ」と()まれますが、近隣(きんりん)にある地名(ちめい)の「すど」(現在(げんざい)富士市(ふじし)須津(すづ))や「みと」(現在(げんざい)沼津市内浦三津(ぬまづしうちうらみと))などを考慮(こうりょ)すると、「()」は「と」もしくは「ど」と発音(はつおん)されることが(おお)く、「かみといけ」が転訛(てんか)して「かんどいけ」→「かどいけ」と()ばれるようになったと推測(すいそく)されます。

参考文献(さんこうぶんけん):「(まき)(せき)門池(かどいけ)用水(ようすい) (みず)(めぐ)みと人々(ひとびと)のくらし」(沼津市明治史料館(ぬまづしめいじしりょうかん)

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