戦後の第四地区
太平洋戦争で空襲を受けた第四地区は市役所の角から御用邸の林が見えるくらい焼け野原になってしまいました。
戦闘機から投下される焼夷弾を避けるために、御成橋の下に隠れたりして、命からがらに逃げていたそうです。
そんな中でも「天狗のすもう」の舞台である八幡神社の本殿は焼けずに残りました。
お話を聞かせてもらった大場さんは、終戦当時は小学校低学年で戦中の記憶は余り無いそうです。
当時は狩野川の土手が整備されておらず、学校帰りに芝すべりができる遊び場でした。
たまに土手で焼夷弾の不発弾が発見され爆弾処理のために遊び場が封鎖されたのをよく覚えているそうです。不発弾は田んぼの中などでも発見されたりと、当時はかなりの量が出てきた記憶があるそうです。
昭和18年頃
八幡神社参道灯籠の前で市場町二丁目役員
※この灯籠は現在は神社境内にあります。
[提供:市場町 益田氏]