千本松原ゆかりのお寺「乗運寺」を訪ねて

千本浜

絵物語(えものがたり)「ぬまづ(むかし)ばなし」(だい)三巻(さんかん)千本松原(せんぼんまつばら)」を()みました。(たび)のお(ぼう)さまだった長円(ちょうえん)村人(むらびと)たちが一本(いっぽん)(いち)(ほん)()えた松苗(まつなえ)は、まさに櫛風沐雨(しっぷうもくう)年月(としつき)()てやがて千本松原(せんぼんまつばら)()ばれるまでになって、その立役者(たてやくしゃ)である長円(ちょうえん)感謝(かんしゃ)した村人(むらびと)は、長円(ちょうえん)のために乗運寺(じょううんじ)をつくったと()いてありました。地元(じもと)()んでいて千本松原(せんぼんまつばら)にも何度(なんど)()ったことがあるのに、()ずかしながらこんなにドラマティックな背景(はいけい)があったなんて全然(ぜんぜん)()りませんでした。

千本(せんぼん)松原(まつばら)千本浜(せんぼんはま)(いま)でも地元(じもと)人々(ひとびと)だけでなく、市外(しがい)から()観光客(かんこうきゃく)(かた)にも人気(にんき)ですよね。右手(みぎて)東海道(とうかいどう)屈指(くっし)景勝地(けいしょうち)である千本松原(せんぼんまつばら)(みどり)左手(ひだりて)駿河湾(するがわん)青々(あおあお)とした水面(すいめん)天気(てんき)()ければ正面(しょうめん)富士山(ふじさん)(なが)めることができるという。まさに絶景(ぜっけい)()えフォトスポットです。(#千本松原(せんぼんまつばら) で検索(けんさく)

「そんな(うつく)しい場所(ばしょ)ならお弁当(べんとう)()って()ってピクニックランチでも♪」、と(おも)った(ほう)、お()をつけください。上空(じょうくう)からものすごい(はや)さでとんび((とび))が()りてきて、()(もの)()られることがあります。とんびって人間(にんげん)でいうと7.0〜8.0の視力(しりょく)があるとも()われているそうですよ。だいぶ(とお)くからあなたの()つおにぎりは(ねら)われているということです。

乗運寺

(はなし)がそれましたが、「千本松原(せんぼんまつばら)」の物語(ものがたり)()てくる場所(ばしょ)といえば、もう(いっ)箇所(かしょ)乗運寺(じょううんじ)です。お(てら)ってなんとなく敷居(しきい)(たか)()がするのは(わたし)だけではないはず。松苗(まつなえ)()える増誉(ぞうよ)上人(しょうにん)長円(ちょうえん)(ぞう)もあると()けば、ますますこの()()たくなってしまい、せっかくなので乗運寺(じょううんじ)のご住職(じゅうしょく)である林茂樹(はやししげき)さん(以下(いか) (はやし)和尚(おしょう)さん)を(たず)ねてきました。

宮代(みやしろ)(わたし)のように、この「千本松原(せんぼんまつばら)」を()んで乗運寺(じょううんじ)(おとず)れてみたいと(おも)(ほう)がいたら、お(てら)()させていただいてもよいのでしょうか。

(はやし)和尚(おしょう)さん:もちろんです。山門(さんもん)はいつでも(ひら)いていますから。

宮代(みやしろ):お(てら)(おとず)れる(さい)のマナーなどあれば(おし)えていただきたいのですが。

(はやし)和尚(おしょう)さん:マナーというか、お(てら)(たたず)まいそのものをぜひ(あじ)わっていただきたいと(おも)いますので、山門(さんもん)をくぐったらしばし俗世(ぞくせい)での諸々(もろもろ)(わす)れ、(しず)かな(こころ)()ごしていただければよろしいかと(おも)います。

宮代(みやしろ):まず(はじ)めにどこを拝見(はいけん)すればよいでしょうか。

(はやし)和尚(おしょう)さん:やはりまずは増誉(ぞうよ)上人(しょうにん)長円(ちょうえん)(ぞう)にお(まい)りをしていただけたら(うれ)しいです。そして職人(しょくにん)()による(にわ)全体(ぜんたい)をゆっくり(なが)めてみてください。(まつ)中心(ちゅうしん)とした(にわ)は、戦後(せんご)復興(ふっこう)とともにつくり(そだ)ててきたものです。(まつ)があり、(うめ)があり、(ささ)がある。季節(きせつ)ごとに(ちが)った表情(ひょうじょう)()せてくれます。(にわ)完成(かんせい)(がた)はありません。人間(にんげん)(おな)じですね。

宮代(みやしろ):なるほど。(しず)かな(こころ)(にわ)全体(ぜんたい)から(つた)わってくるものを(かん)()るのですね。

(はやし)和尚(おしょう)さん:はい。そして千本松原(せんぼんまつばら)(あい)した歌人(かじん)若山牧水(わかやまぼくすい)墓前(ぼぜん)にも()()わせていただければと(おも)います。

宮代(みやしろ)若山牧水(わかやまぼくすい)千本松原(せんぼんまつばら)景観(けいかん)()()って沼津(ぬまづ)()むことを()めたのですよね。授業(じゅぎょう)(なら)った記憶(きおく)があります。

(はやし)和尚(おしょう)さん:そうですね。大正(たいしょう)15(ねん)千本松原(せんぼんまつばら)一部(いちぶ)伐採(ばっさい)するという(はなし)()(とき)も、反対運動(はんたいうんどう)急先鋒(きゅうせんぽう)となって(うご)いたのが牧水(ぼくすい)です。

宮代(みやしろ)長円(ちょうえん)さんや村人(むらびと)()(そだ)てた松林(まつばやし)を、そのずっと(さき)未来(みらい)(まも)った(ひと)たちがいるというのが感慨深(かんがいぶか)いですね。

宮代(みやしろ)(はやし)和尚(おしょう)さんは、乗運寺(じょううんじ)地域(ちいき)(ひと)にとってどんなお(てら)でありたいと(かんが)えていらっしゃるのですか?

(はやし)和尚(おしょう)さん:(てら)本来(ほんらい)人々(ひとびと)(つど)(とも)(まな)んだりした場所(ばしょ)ですから、乗運寺(じょううんじ)人々(ひとびと)(こころ)(やす)まる場所(ばしょ)でありたいと(おも)っております。

宮代(みやしろ)貴重(きちょう)なお(はな)しをありがとうございました。

乗運寺(じょううんじ)境内(けいだい)からは(そと)建物(たてもの)電線(でんせん)があまり()えないせいか、本当(ほんとう)俗世(ぞくせい)()(はな)された特別(とくべつ)空間(くうかん)(ひろ)がっているように(かん)じられました。(みな)さんも機会(きかい)があればぜひ()ってみてください。

宮代(みやしろ)博美(ひろみ)(ライター)

乗運寺

宮代(みやしろ)博美(ひろみ)


沼津市(ぬまづし)在住(ざいじゅう)取材(しゅざい)ライターや翻訳(ほんやく)通訳(つうやく)(ぎょう)など、言葉(ことば)地元(じもと)(かん)することなら(よろこ)んで()びつく。集合(しゅうごう)写真(しゃしん)間違(まちが)いなく(ひと)より(いっ)()()がるあざとさと、運転中(うんてんちゅう)(よこ)(はい)りを(ゆる)しすぎて後続(こうぞく)(しゃ)(おこ)られる謙虚(けんきょ)さを(あわ)せもつ。相撲(すもう)総合格闘技(そうごうかくとうぎ)()るのがすき。()きな()まり()は「ちょん()け」。いつか(だれ)かにかけてやろうと(おも)っている。

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