代々続く 山本さん
古くから平戸に居をかまえる山本さんは、遡ると鎌倉時代から26~27代も続く山本さんです。
安政の東海大地震に運悪く遭遇したロシアのプチャーチン提督が率いる軍艦ディアナ号が沈没し、戸田で代船(日本初の洋式帆船ヘダ号)の建造を行っていた時に、山本さんの自宅はプチャーチン一行の休憩地になったと言われています。
自宅には「お宝」と思わしきものがたくさんあり、実際に静岡県に登録されている資料もたくさんあります。
また、自宅近くには山本家所有の神社もあります。そこの神主さんというわけでなく、山本さんのうちの神社です。
数々のお宝もそうですが「うちの神社」という初めて聞く言葉に驚きを隠せませんでした。